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我が家の記録

ぼくはいつも思いつきで動く人間である。なんとなく、Web上に自分の思いの丈を吐き出して、誰かにそれを読んでもらいたくて、アーカイブとしてもとっておきたくて、もともと個人のニュースレターのためにとっておいたドメインと、別のサイトをホスティングしているサーバーがあるので再利用することにした。

昨年の10月くらいから手書きの日記を書きはじめた。Midoriという会社の、たぶんけっこう有名な、3年日記というやつだ。母がかつて、そしてもしかしたらいまも使っているのと同じかもしれない。1ページが縦に三分割になっていて、それが365日分あるから、全部埋めたら3年分となるわけだ。いままで何度となく日記のようなものを始めてはみたのだが、ここまで継続できたためしがないから自分でも少し驚いている。一日の終わりに思いついたことをツラツラと書くだけでとても心が満たされた気持ちになる。そういえば祖父も相当長いあいだ日記をつけていたか。誰のために書くわけでもなく、記録でもノートでもなく、文字通り、その日を記す、という行為がそろそろ自分には必要になってきたのかもしれない。こうやってWordpressにブログみたいなものを書きたくなったのも、もしかしたらその延長線上にあるのかもしれない。

昨日、ぼくが実家に置いたままにしていた青春時代の荷物が届いた。仕事があったからひとつひとつを入念に見直したわけではないからこの件についてはまた後日、思ったことを書くことにするとして、そのダンボールの中には父に別途お願いしていた「我が家の記録」なる秘蔵映像・音声のデータが入ったUSBスティックもあった。そのなかから気になるタイトルのものを流し見・流し聴きしていて、あぁ、アーカイブってほんとうに大事だなぁと思った。アーカイブとはつまり、記憶を呼び起こすものである。ここに主観やイデオロギーみたいなものが入り込んでくると、それは多分ジャーナリング・ジャーナリズムみたいなものに変容していくんだろう。我が家の記録には、良い意味でそんな雑味はまったくなかった。つまり、アーカイブはとても中立的な存在であるともいえる。もちろん、撮影者や録音者の意図は多少ノイズとして加わるだろうが、そのアーカイブの主体となっていた者たち(家族、それを取り巻く人々)にとっては、強烈にその時の記憶が呼び起こされる。たとえ年齢が小さくてクリアな記憶がなかったとて、若き日の両親や祖父母を見て、彼らが話すその声を聴いて、その時代の生活やコミュニケーションのあり方のようなものが鮮明によみがえってきた。今ほどコンテンツを簡単に保存できない環境でもコツコツとアーカイブを続けてきた父に感謝するとともに、自分がどれだけ多くの人に関わってもらって育ってきたのかを今さらながらに思い返し、多くの反省とともに、これにもまた感謝せずにはいられない。

我が家の記録のデータを送ってくれないかとお願いしたのはぼくだった。なぜか。ここ数年、自分の価値観をガラッと変えてくれ、ネットの先にいるメンターとして追っかけるようになったのが宮台真司さんだった。最近では大学の敷地内である青年に切り付けられて重傷を負ったり、女子大生だかなんだかとの密会が文春砲にやられたり、ぼくは彼の古い時代のことはリアルタイムではよくしらないのだが、昔から何かと破天荒な言動で色眼鏡で見られてきたことも多いのだろう。それはそれとして、はじめはよく聴いているポッドキャストのゲストとして出てきて、まぁなんと知識の幅広いことかと驚き、そして人間味のある提言に心奪われたのがきっかけだった。そこから彼がレギュラーで出ているvideonews.comやDOMMUNE Radiopedia、深堀tvなど、視聴できるオンラインコンテンツはほとんど追っかけているし、書籍も多く読んでみた。おそらく、ゆうに100時間以上は彼とその仲間たちの話に耳を傾けてきたと思う。

そう、そこで、記憶である。宮台氏は記憶が大事だとよく言っている。Newspicksの公開記事での対談がうまくまとまっているので貼っておく。たしかYouTubeに記事のもとになった動画があったはずだ。

【宮台真司】閉塞した社会で「幸福」を思考する(後編)

内容についてめちゃくちゃシンプルにまとめれば、人は身体性をともなって誰かと空間をともにした感覚(トゥギャザーでいる体験)を記憶として持たないかぎり、卓越者たちがデザインした無害なケミカルとサイバー(大麻・LSDとスマホゲーム・VR空間)による多幸感に浸るだけで、人は幸福には決して辿り着けない、というところだと理解している。まだかろうじてぼくの育った時代には、ありがたくも煩わしい身体性と窮屈だが恋しいトゥギャザーネスがあったなぁと、我が家の記録をみて痛烈に思うのだった。記録が記憶を呼び醒ます、たんなるデジタルデータではなく、幸福のためのヒントが隠された宝ものだったんだ。

アフォーダンスとミメーシス(ミーム(摸倣子)の受け渡し)というキーワードも後半にでてくる。アフォーダンスは北海道弁(?)で馴染みがあるかもしれない、「XXしささる」感覚のやつ、中動態ともいう。私たちが椅子に座ってるのではなく、椅子に座らさるように促されて行動しているという例のやつ。ミメーシスは感染。カリスマのいうことは何かわからないけどすげぇと感じて模倣しちゃう。

子供の頃はアフォーダンスに敏感であらゆる事物にアフォードされて生活が回る。虫取り、魚釣り、かけっこ、ぼくにとっては音楽もそうだったかもしれない。気づけばギターを抱えてポロポロと弾く、ヴァイオリンに弾かされる感覚。でもこれ、経験が記憶として残っているから大人になってもアフォードされることに免疫がある。小さいときの経験と記憶がないと、アフォードはある意味コントロールされるのに委ねるわけだからそれを心地よく感じない人達もいる。そうするとアフォードされまいとカウンターで相手を支配してやろうとなっちゃう。これが宮台氏いわく「コントロール系のクズ」。

かつては主に地縁・血縁の小さいコミュニティでミメーシスの源流たるカリスマがいた。しかし時間とともにカリスマは死ぬか衰退し、形骸化された正統性のみが残ることになるらしい。そうなると享楽と微熱感はなくなり、システムだけが残って没人格化する、力が湧いてこない。そうしてシステムの奴隷たるクズがまた量産される。

トゥギャザーネスでもアフォーダンスでもミメーシスでも、どれも大事だがどれかだけでも強烈に子供の頃に記憶が残っていれば、生きるために社会に放たれて没人格化しそうになろうとも、安全地帯(家庭)に戻ればあの頃の感覚が蘇る。記憶もなく、安全地帯もない存在たちはどうしたらよい。おそらくSNSでボットのように炎上に油を注いだり、「カスハラ」なんていうようなことでしか鬱憤を晴らせないような輩になるか、タワマンで孤独死していくか、大別すればそういうことになっていくのだろう。自分もいつそうなるかわからない。他人事とも思えない。だが、ときおり記憶を思い出し、あの頃が素晴らしい時間だったのだと大事にすれば、たいていのことは乗り越えられるのだろうと胸の奥がほんのり温かくなった。